SOYBEAN's Loom

BEAN's LOOM

もっと楽に、楽しく。生きていきたい。うつ病・強迫性障害・HSP・全般性不安障害をココロに抱えていますが、日々奮闘しています。

絶対ルール

 

うつ病というのは、人それぞれの、きっかけや症状があると思います。うつ病について本やネット等でたくさん情報を得ることができますが、それでも本人にその情報が当てはまっているかどうかはわからない、判断も難しい病です。

 

 私はこれまで、両親にこれといって迷惑をかけたりせず、どちらかと言えば真面目に生きてきました。
父方の祖父母と4人の叔母達との関係は良くなく、母も私も私の兄も、それを見て何もできない父も悲しい思いをたくさんしました。

両親は共働きで、これでもかというほど働いていて、祖父母と別々に暮らしてからは鍵っ子で育ちました。
兄は破天荒で、ヤンチャに生きていました。顔立ちも整っていて、スポーツ万能、ヤンチャだけどすごく心の優しい妹想いの兄。そんな大好きな兄は学校では知らない人のいないくらい人気者。そしてヤンチャな兄に、親は目が離せませんでした。

その間にいた私は、それほど可愛くもなく、運動音痴で、コンプレックスの塊でした。兄が破天荒な分、いい子でいなきゃと何か特別頑張っても、誰も私に関心がないと思い込んで生きてきました。だから周りに人がいてもいつも心は独りでした。

 

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小さな小さな頃から私はおかしな事を言う子でした。"これは毒じゃない?食べても死なない?"母に大丈夫と言われるまで、触ることさえできず。学校の机や水道の蛇口、身の回りにあるたくさんのものに小さな菌がうじゃうじゃ見えました。何かを触ったら手を洗う他、右手で触ったら左手でも触らなくてはならない。いつも"必要かもしれない"ものをバックに詰め込んで、荷物はいつもぱんぱん。そのため小さい頃から肩こりがひどかったです。。。でも後に発覚しましたが、その肩こりは小児鬱の症状の1つでした。そして謎の絶対ルールは増えていき…。

 

私は高校3年間、そして専門学校を1年半、熱が出ようがなにしようが無遅刻無欠席をつらぬきました。それは高校に入る前、祖母と交わした口約束が始まりでした。それまで遅刻や欠席の多いだらしない生活をしていた私が目指した高校や、専門学校は、家からかなり遠いところにありました。なので、私は絶対に通えないだろうと、祖母に言われ、ならまず高校3年間休まず行くから達成できたら専門学校に行かせてほしい。通ってみせる。と祖母と約束しました。おそらく祖母はそんなん忘れちまっているであろうそんな約束でした。

しかしその時からそれは私の義務、⚫️絶対ルールになりました。どんどん増えていく絶対ルール。

 

小さい頃から感受性が豊かで、とても不思議な子だと母からよく言われます。小中学生の頃、鍵っ子だった私はかなりのインドアで不思議ちゃん。友達ができにくく、いろんな嫌がらせをされたりもして、嫌な思いとともに育ち、人を全く信じることができなくなっていきました。そして人を忌み嫌い、身勝手に独りぼっちになっていきました。

たぶん、私の周りの人は私がそんな人間だなんて思っても見ないと思います。

オンオフがはっきりしていて、外に出ればオンになり、⚫️人に優しく親切に、⚫️親身になって話を聞いて、⚫️人にされて嫌なことは絶対にしない。⚫️人を絶対に否定しない。⚫️悪口を言わない。⚫️嘘をつかない。⚫️遅刻や、欠席、注意されるようなことはしない。⚫️親、兄弟、家族を常に大事に想い、絶対に悪く言ってはいけない。⚫️そしてその家族というテリトリーに、誰も入れてはいけない。家族以上のものはなにもない。高校に入ってからはそういった絶対ルールのもと生活し、周りに人が集まり、いろんな人がいろんなことを相談してくれるようになりました。まぁ、いわゆるかなりの八方美人です。と言っても二方ですがね。笑。家でしか、本当の自分は見せませんでした。ヘタすれば、⚫️自分にしか本当の自分を見せていませんでした。

私は頑固な性格で、かなり熱苦しくもあり、物や人に対する執着心も強く、母に似て義理人情に厚く、心配性で、なにかやると決めたらやる人でした。物事を冷静に判断し、そして常にしっかりと夢や目標を持っていて、そのための努力もしていたものだから、みんなからしっかりしてる、まじめ、同い年とは思えないなどと言われていたので、いろんな人が大人びた印象を受けたとおもいます。たぶん。たぶんですがね。笑。そして無遅刻無欠席、成績もなかなか優秀で専門学校の卒業単位ももちろん取れていて、素晴らしい、文句なし。人々からはそう言われ、まじめで通ってきました。しかし、私の中のその絶対ルールとやらはどんどん増えて、私の強迫観念は知らないとこで気づかぬうちに、私を縛り付け、私を殺し続けていました。

 

そしてある日、専門学生最後の夏休みのたった1日の登校日を、うっかり忘れ、欠席したことがありました。その時、張り詰めていた糸がプツンと切れました。その後から私は外に出ることが億劫で仕方なくなりました。また、小中学では、火の始末や、鍵の閉め忘れが気になって早退してしまうこともありましたが、それがさらにさらに酷くなりました。そして車の運転中、対向車線からくる大型トラックを見た時にこのまま突っ込めば楽に死ねるのだろうかとふと思い、それが変だということも気づかぬまま、どんどん身体や心はおかしくなっていきました。