幸せって?
幸せってなんでしょう?
この世の誰もが幸せになりたいって思っていると思います。
もしそんなことない私は不幸でいい。という人がいるならば、それは不幸になることで、幸を得てることに気づかないでしょうか。
前の記事を読んだ人は知っての通り、
私は今、うつ病です。
私は鬱なんだー!辛いんだー!だから助けるのは当たり前でしょ?可哀想と思ってよ!と悲劇のヒロインのように自分勝手に生きていけたら楽ですが、うつ病患者はかなり、肩身がせまい思いをしています。
仕事を終え帰って来た母を手伝うこともできず、両親の1日の楽しみでもあるテレビも、私のせいで見ることができず、映画も観れない、どこにもいけない、大きな音を出さないで、怖い怖い。そんなことばっかりで、申し訳なさでいっぱいで、その都度私ってなんで生きてるの?ほんとに生きてていいの?と思っていました。
私の母は、私のその想いを手に取るようにわかってくれました。私の母は、忙しいながらも、うつのことを片っ端から調べ、誰よりも努力し私の支えになってくれる一番の理解者です。
私の家は自営業で、父母兄、そのほか3人の従業員達と造園土木の会社を経営しています。父はものすごい頑張り屋で苦労してたくさんの仕事をとってきて、ありがたいことに父の会社は大忙しです。そんな大忙しの毎日に、急にひとり、うつになった家族ができたわけです。たぶん、口には出さなくとも超迷惑だったと思います。
そんな中、母は誰よりも私の痛みや苦しみを理解して、私を心配し、仕事を休み、家にいたいと父に訴えました。父や兄は優しいけれど、うつに対してほとんど理解がありませんでした。そんな2人に母は私の知らないところで涙をこらえながら私の辛さや痛みを訴え、父や兄はうつを理解しようと努力してくれるようになりました。
抗うつ薬を処方されてからしばらく経ち、母がつきっきりの毎日を送るようになりました。猫の手も借りたいほど大忙しの父の会社を横目に、申し訳なさでいっぱいでした。
朝私を起こし、決まった時刻に薬を飲ませ、朝昼晩とご飯を作ってくれる母のおかげで私の生活習慣はかなり改善されてきました。ただ、未だに蒸かしたジャガイモを潰したもの、うどん、とにかく喉ごしの良いものしか食べてはいません。噛むこと、飲み込むこと、食べ物を口に運ぶことが億劫で仕方がないのです。
隔週で精神科に行き、何度も何度も薬が変わりました。
今、朝晩、セニランとセルトラリンを1錠ずつ、寝る前にリフレックスを1錠飲んでいます。そして頓服薬として、アルプラゾラムが処方されています。
そして今、身支度をしたり、少しの間なら母と一緒に買い物に出たり、徐々にできることが増えて行きました。
吐き気や息苦しさもずいぶんなくなってきて、
顔色が変わったとみんなから言われて、治る兆しが見えてきました。
そこに行き着くまで、それまでにたくさんの幸せとありがとうがありました。近くで支えてくれた母と母の分まで必死で仕事をこなしてくれている父と兄。私の大切な元彼。専門学校の、卒制を一緒に作り上げたメンバー。そして今心から言える親友達。祖父母たちや、いろいろな人やもの。
これまでひとり身勝手に孤独を感じ、信じることができなかった私の周りのすべての人達に心の底から感謝し、それと同時に私の存在価値を知ることができました。ごめんね、迷惑かけて。と言うたびに、何を言ってるの、あなただって助けてくれたじゃない。お互い様でしょう。とみんなが手を差し伸べてくれました。
相談をされて、親身に聞いてアドバイスをしては、さほど気にしていない当人を見て、愕然としたり、人の相談事にその人以上に親身になって努力して、ただのお節介になってしまって…これまでたくさん人に絶望して、誰も信じずひとり孤独に生きてきたつもりが、実はそうではなかったと痛感しました。
私の人生にはたくさんの人がいました。
そして誰かの人生にも私がちゃんといました。
辛い時、私だけのために動いてくれた人がたくさんいました。
たくさん辛いことがあったけど、自分はすごく恵まれた環境にいたことに気がついて、これまで当たり前だったことが幸せに変わりました。
うつになったことで死にたくなるほど苦しかったけれど、あふれんばかりの幸せをいただいた。
食べ物が美味しく感じた。
着替えができた。
歯磨きできた。
靴を履けた。
玄関を開けた。外に出れた。
怖かった風が気持ちいいと感じ
うっとおしかった太陽の光が美しいと感じ
真っ暗なベランダで
月の街灯にキラキラ照らされた
近頃うっとおしかったこと、胸くそ悪く感じてたものが幸せに感じます。涙が出るほど満ち足りた気分になります。
すると、何処かに行ってしまったはずの、あの頃の私が少しずつ音や匂い、色を発して戻っているのを感じます。
ただの砂を見て、見える見えるビーチが見える。
孤島が見える。木々が生い茂ったジャングルも。
iPhoneにつけた水色のクルクルキャッチが見える見えるタヒチの海に見える。
カップの柄が見える見えるお花畑に見える。
あぁ、帰ってきた、帰ってきました。
なんのへんてつもないものを見て物語や情景が頭の中をぐるぐる回って、毎日が楽しくて仕方なかったあの頃が。ほんとは私、誰よりも幸せを知っていたのです。
今はまだ、できることが限られて苦しい時もある。
けどもうすぐ、もうすぐ良くなる。そう言う風に感じます。
もうそろそろ絵が、描けるかな。