SOYBEAN's Loom

BEAN's LOOM

もっと楽に、楽しく。生きていきたい。うつ病・強迫性障害・HSP・全般性不安障害をココロに抱えていますが、日々奮闘しています。

しかくい世界

 

どうして人は

 

人を誹謗中傷し、追い詰め陥れるとき

あんなに一致団結できるのか

あんなに夢中になれるのか

 

いつもは全然違うのに

 

 

どうして人は

 

人を責めたてるとき

あんなに目がギラギラとするのか

あんなに生き生きとするのか

 

いつもは全然違うのに

 

 

私も、そうなのだろうか

生きるというのはそういうことなのだろうか

 

 

人が人と協力することは、応援することは

人が人を信じることは、愛することは

 

 

そんなに難しいことなのか

 

 

薄っぺらい、しかくい世界は

どうして

こんなに悲しくなるのか

 

ライバルはスーパー内気、、、

 

 

こんにちは、久しぶりの投稿です。

最近はまたさらに体調も良くなり、

外に出たいという意欲が湧いてきました。

薬を忘れてしまうことがあるくらいです。

 

これまで、随分と不規則な生活を続け、

規則正しい生活を取り戻すのにかなり苦労しました。

 

父の会社の事務仕事も、余裕のない状態で行なっていました。

 

本来やりたいことではないから、

だとか

自営業だから、

だとか

考えているつもりではないけれど、

結果的にそんな風になってしまっていることに気づいて

両親や兄には申し訳なくて

辛くなりました。

 

最近このブログを振り返ることがあり、

もっと病気がひどかった時の方が

死ぬ気で頑張っていたように感じます。

今、こうなりたいという強い思いにかけているのかなと思いました。

 

 

そんなマンネリしたような退屈した気持ち、

 

振り切るのって大変です。

 

 

母とそのことを相談しました。

するとこう言われました。

 

自営業とか、あなたが前になりたいっていっていた

フリーランスとか、常に自分と戦っていてほんとにすごいよね。

そういう人っていうのは実際楽したいだけ楽できる。

けれど、そのシワ寄せは全て自分にのしかかってくる。

楽するっていう選択肢がすぐそこにありながら自分で尻を叩いて仕事を探して仕事するってかなり大変だってこの頃気付いたよ。

 

そう言われ、

今の自分と重なり、

自分と勝負する必要があると気づきました。

ライバルとか、人の目とか、結局最終的に行き着くのは自分なのだと思いました。

他人のライバルをつくっても、結果に満足するもしないも、自分で決めることだと思います。人の目を気にするのも、こう思われるんじゃないかという思いも、ほとんどが自分の主観です。世の中にはいろんな考え方がありますが、すべての考え方に合うようにするなんて不可能です。

 

なら、自分がなりたい自分になるために

自分と勝負していくのがいちばんなのだなと思いました。

 

もし、今のようにとても自由な状況で自分に勝つことができたら、

今後の自分に勝てるような、、、

大きな自信につながるような気がしました。

 

今自分はどうなりたいのか

そういう思いと常に向き合っていければいいなと思います。

 

内なる弱い自分に勝負する、、、

ってめっちゃくちゃ内気なくせに

なによりも手強いんですよね、コイツっ

 

 

ひとりごと、プチ日記

 

目が覚めて、外に出るともう太陽は1番上まで登っていた。

 

熱と湿気がこもった風をうけて

着替えたばかりのTシャツに、じんわりと汗が滲む。

だる〜い気持ちでいっぱいになって、また家の中に入ろうかと思った。

でも、家の中に入ることも躊躇してしまうほど

寝ても覚めてもいつもと変わらない光景ばかりが続いて

玄関前に停めてある私の車はいつも通り薄汚れていた。

玄関にはいつも通りサボテンがいた。

でも、土はカラカラにひび割れていた。

 

思い出した。

家の裏の植木にも、しばらく水をあげていないこと。

 

最近ベランダに植えたミニひまわりとラベンダーのあまりの成長の早さに愛くるしくなり、溺愛。外で暮らす植木たちのことをすっかり、忘れてしまっていた。

 

さっそく、私はとぐろ巻いたホースを引っ張って

まず玄関前のサボテンや、植木に水をやった。

サボさんは相変わらずおっきな花を咲かせていた。

涼しいベランダの新人さんたちを溺愛してうつつを抜かし、過酷な外の住人にムチを打つひどい鬼が主人でも、

こうして強く生きている。

サボさんのことも、大好きなんだよ。と思いながら水をあげた。

たぶん、あの様子からすると伝わっていないだろう。

サボテン以外の植木鉢に植わっている植物は

何が植わっているかわからないものばかりで、枯れているのか生きているのかもわからない。

たぶんほとんど、枯れていた。

たぶんだけど、それに関しては私のせいじゃない。

サボテン以外の植物たちは、いつの間にか増えたり、減ったりするのだから。

サボテンの隣近所はなんとも出入りの激しい家ばかりなのだ。そして、私の知る限り、その家に住んだ植物はほとんどが枯れるという訳あり物件なのだ。

土が悪いのかもしれない。いや、そもそも、何も植えていなかったのかもしれない。うん年前に枯れたものがそのままになっているのかもしれない。

そんなことを考えながら、たぶん枯れている植物にも水を与えた。

私の車にも水をかけてブラシでこすった。

いつもありがとう。My carっ!!と心から心の中で叫んだ。

 

裏のホースにつながる蛇口をひねり、

ダッシュで裏の植木のところに向かった。

一刻も早く裏の植木に会いたかった。

だが実は、初対面だ。(植えたのは母。数日前から水くれをしてと頼まれていたのだ。)

 

案の定、土はひび割れていたが、植木は青々としていた。しかしなかには危ない奴もいた。

植木に引っかかりジョボジョボ音を立てているホースを掴み、

指で押しつぶしながら根元に水を流した。

 

植木の水あげは割と時間がかかるのだ。

 

でも、焦らずじっくり、ほんと、すまない。マジで、申し訳ない。と心の中で呟いて1つ1つに水をあげた。

水をあげていると、陽の光が差して、大きな虹ができた。

そして土の中からジワジワジワという音が聞こえはじめた。

そしてカラッカラだった白い土が茶色に変化して

植木たちがしなり始めた。葉がさらに青々とし始めて、もっともっと、と言っているようだった。

 

太陽が照らし続ける中、私は水をあげ続けた。

 

ジワジワという音がゴワゴワという音に変わり、

溺れそうなほど水が染み出した。植木たちが

も、もうOK!OK!、、、OK!!!!!!!!

と言っているのがわかったので水をあげるのを中止した。

あー暑いと、思うか思わないかくらいのところで、

風が吹いた。

さっきの熱と湿気のこもった風と違い、

その風は髪と髪の間をひんやりとすり抜け

Tシャツをくぐり、冷たいと感じるくらい涼しい風だった。

そんな風が、優しく何度も何度も吹き、植木を揺らして、そして私のあつ〜い体を冷やした。

この雰囲気的に、植木がありがとう!と言っていた。この雰囲気的に。

 

プチ外仕事を終えて、

私って植物と会話できるんだなとしみじみぃと思い

いや、普通に人と話がしたいわっ。と自分にツッコんだ。

 

そして気づいた。

長い間こうやって植木たちと会話したり、

ずっと家に独りでいた自分が、

いつぶりに心から人と話したいって思っただろう。

いつぶりに心から外に出たいと思っただろう。

いつぶりに心から暑い日の風が気持ち良いだなんて思っただろう。

たぶん心から思ったことは一度もなかった。

できる環境にいてもそうしてこなかった。

 

今年もまたこの季節がやってきた。

毎年毎年エンジョイするぞっ!とかいいながら

暗い過去になって沈んでいっていた夏。

1日が長くて、朝会うことができない両親を夜遅くまで待つのが辛くて怖くてさみしくてしんどかった。独りになりたくないのに、どうしてか、誰とも遊んだりできなかった、夏。なぜか家から離れられなかった夏。これまでエンジョイできなかった夏。1番大嫌いだった夏。

 

21年目にして、ようやくエンジョイできそうな兆しが見えてきた。

 

 

満開のサボテンを見て思うこと

 

こんにちは。

最近またさらに暖かくなってきましたね。

日がのびてきたり、毎年訪れることなのに、

なぜか毎年新鮮に感じます。

 

今年の春、みなさんはどのように過ごしていますか?

春を満喫しているでしょうか?

 

連休が取れたら、ゴールデンウィーク、旅行したりしたいですね。

 

 

サボさんたちも玄関脇で太陽を浴びて

お花を沢山咲かせています。頑張って生きています。

私は毎日お花見、しています。

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最近変わったことといえば、

薬が変わりました。

眠気が強すぎるということを主治医に相談したところ、

ずいぶん落ち着いてきたから少しづつ薬を変えましょうかということになりました。

以前飲んでた薬は3種類。セルトラリンセニランリフレックスです。

セルトラリンリフレックスは、私に革命的な変化をもたらしてくれた薬ですが、通常この2つはどちらか片方を飲めばいいらしいです。

 この前、セルトラリンを1週間断薬することに挑戦してみたところ、2日目でかなりひどい離脱症状が起きて、セルトラリンはまだそのままに、セニランを少し優しい薬に変えてもらいました。

離脱症状は、主にめまいや吐き気、耳鳴り、息切れ、気分の落ち込みでした。

喉元過ぎた苦しみを久しぶりに味わって、また自分が鬱であることを再認識させられ、とても辛い2日間でした。

我慢できず2日目の晩にセルトラリンを服用してしまいました。

 

今、セニランの代わりに飲んでいるのはクロチアゼパムという薬です。

特に副作用や、離脱症状もなく落ち着いています。

 

今気になることといえば、疲労や肩凝りからくるものなのか、激しい頭痛に悩んでいます。

今年度から入社した父の会社の、現場の方の仕事(外での仕事)を体験させてもらい、これまで全く太陽にさらされてこなかった私の体には、かなり酷でした笑笑

その筋肉痛というか、張り切り過ぎて体のあちこちを痛めてしまったがためになった頭痛だと思います。、が、

あまりにも自分の体が華奢ということに気づかされ、かなりショックです。σ(^_^;)昔からですが、スタミナが全然ない…!

事務の仕事を頑張ろうと思います…。笑

 

でも、時々自分が鬱であることを忘れてしまうくらい、順調です。

とてもいいことです。

 

ただ、鬱になってみて、そして、良くなってくるたび思うのが、

「もうこんなに良くなったんだ。」

と、人に思われる事が、とても怖いです。

 

実は無理をして頑張っている、ということが多いので、良くなったんだねという思いはむしろ外れていることの方が多く、人に勝手に判断をされてしまうことはとても恐ろしいことです。

 

間違った判断をされたことにより、もうこれくらいはできるでしょ?とか、もうこんなに良くなったのに、ほんとは甘えてるんじゃないか。など、今している事が当然と思われてしまう事は

普段からいつまでも薬に頼りたくない、早く治したい。という思いで、焦っていて、病気を振り払うかのように一生懸命動いて、そして、その焦りや、理想と現実のギャップにとても苦しめられている毎日で、最終的に自分からも、人からもどんどん追い込まれ、執ように焦り、苦しむ原因になるのです。

 

うつ病というのは、『尋常』ではないのです。

 

それをわかった上で、よくなってきてるね、

と思って欲しいのです。

 

私の周りには、執ように急かしたり、駆り立ててくるような人はいないし、家族も、会社も、友人も優しく私を見守ってくれています。

なのでそこまで辛い思いをしていませんが、その私でさえそう思うのですから、周りにうつ病になってしまった人がいたら、よくなったり、悪くなったりを繰り返し、病気がよくなっていくということを、理解して、優しく見守ってほしいです。

 

今やっている事が当たり前ではないという事。

 

それは、うつ病じゃない人もおんなじです。

毎日、毎日、よくやった!と、自分を褒めてほしいです。

大切なのは、やっていることに胸を張れるかどうかです。

そして、自分の周りにいる人も同じです。

人がしていることを、当たり前と思わず、互いの人生を尊重し合えたら、辛いことがあっても、辛いだけの人生じゃなくなるはずだと思います。

 

そうなるためにはまず、自分から相手を尊重することが大切だと思います。

 

最近よく、愚痴をこぼしたりしてしまうので、

これは私自身に言って聞かせてるようなものです。笑

今後の課題です。

 

どんな人や物にも、そのものだけの人生があり、親がいて、そのものだけしか味あわない苦労をして、そこに存在しているのです。

 

そうして、どんな人や物にも、好きを見つけられたら、とてもハッピーだと思います。

 

 

 

ひとりごと。

 

 

いつだって太く強く支えてくれた存在が

ボキッと折れてしまう

そんな時、私は体のほとんどを失ったようなかんかくになる。

 

 

強くて大きくて美しい、愛する木の頭の上にはいつも雲があった。根付いた木は、もう逃げることなどできなかった。

雲はもくもくと大きくなって

やがて黒く濁った雨を降らせる

 

濁った雨が木の芯を通り、根に渡る。

 

雲はとどまることなくどんどんどんどん成長し、

黒い雨を降らせ

やがて私たちの太陽を殺した

 

黒い水が木をぬらし、芯を、根を腐らせる。

 

そんな木に私はハンモックをかけて眠りについた。

どこよりも安心できるから。

 

大きな木はドクンドクンと音を立て大地を揺らす。

そしてズキンズキンとひび割れて、

キズから流れ出た濁流が私を飲み込んで

私は溺れながら

遠くの方で大きな木の真ん中がボキリと弾け折れ、黒い海に沈むのを見た。

 

そして私も、

根よりも深く沈んで、化石の横を通り過ぎ、ブラジルを過ぎてもまだ深く、下へ下へ沈んでいく。

 

たどり着いた先ではグルグルチカチカシクシクガシャガシャブルブル。息を吸っても空気は入ってこない。息を吐いても体から出ていかない。吐きたくても、吐けない。枕はいつもぐしょぐしょで、音や声はノイズに化けて頭痛とめまいを呼び起こす。手足が痺れ、身体の居場所がない。

 

喉元過ぎたはずの痛みがまた私の前に現れた

 

もう楽になりたい

おやすみじゃなくてさようなら。

 

まだ見たい夢がいっぱいあるのに。

 

地上に浮いてぬか喜んでまた沈む。

こんなのもう終わりにしてしまいたい。

 

まだ会いたい人がいるのに。

まだ離れたくないのに。

 

手を握ってもハグをしてもなにしても

遠くて、さみしくて、たまらない。

 

 

もう死んでしまいたい

 

 

まだ生きていたいのに。。

 

 

 

『ヘイ、Siri!』という名の呪文。

 

春ですね。

周りは減ったり増えたり、泣いたり笑ったり、起きたり咲いたりで忙しなく、どこかソワソワする季節です

 

これまでの勤めを終えた方々、お疲れ様でした。

そして新生活が始まる方々、おめでとうございます。

 

世間がめまぐるしく動くなか、

私は相も変わらずカタツムリのように、ゆっくりゆっくり、のらりくらり生きています。

落ち込んだり、急に楽しくなったり、不安になったり、流れに身を任せたり、甘えてみたり…

あら、なんだか、私のほうがよっぽど喜怒哀楽激しく生きてるのかもしれませんね。

 

 

抗うつ薬を飲み始めてから、もう4ヶ月が過ぎました。

 

でも、まだ4ヶ月か。という気もします。

 

長いようで短い、短いようで長い、、そんな感じです。

 

時々、失っているものがあまりにも大きいような気がして不安になったり落ち込んだりします。

あまりにも長い間、時が止まってしまっていると。

 

私の周りの人は時に赤く黄色く激しく、ぶつかり合って、耳を塞ぎたくなるような音を出し、時に緑色に桃色に、目を塞ぎたくなるほど眩しく光り、色んな色や音を発しながら私には真っ暗にしか見えない道を進んでいくのです。

 

そんな中、背中を押してもらいながらも私は進むことも追いかけることもできず、ひとり独りぼっちになって、周りから発せられた色や音と共に置き去りにされるのです。

 

置いていかれた色や音は私の色と混ざり合ってドロドロガヤガヤべたべたと、醜く粘っこく私にへばり付いて、私は手も足も出なくなり、

ついには目の前が砂嵐になって、『いつになったら終わるの。』と全てを諦めたくなるのです。

 

それでも後ろから押される力がどんどんどんどん強くなっていくのを感じ、前にも進めず、後ろから押しつぶされてもがくことも息をすることもできずにいる、

そんなふうに落ち込んでしまうことがまだあるのです。

 

 ただ、私の中で唯一、良かったと、 変わらず本当の自分でいられていると思うことは、

就職したり、前へ進んでいる仲間を見て

こころから祝福できることです。

これは、綺麗事なんかではなく、めでたいことがあったり、幸せそうな姿を見ると本当によかったと自分のことのように嬉しく思えるのです。

そこを悲観的になってしまわない自分がなんか、あれですが、偉いなっとちょっと思えます笑

 

 

さっきは、泥沼のような文を書いてしまいましたが、最近は、ちょくちょくパワフル元気に、ハイテンションになることも多々あるのです。ただ、急にテンションが上がり過ぎてまだそれに体がついていかないので、ものすごい動悸がして、グワァーと何かなんでもないものがこみ上げてくるだけですがね。そういう時は総理大臣にでもなれちゃいそうな気分です。その直後、ドスンっと落ちてしまうのですが、これは少なからず社会復帰、自分を取り戻そうと体がもがいている証拠ではないでしょうか!多分、総理大臣になりきれちゃう私が本当の私だったんだと思います。笑

 

そのハイな時に、暴力的になってしまうこと(躁鬱)はなかったので、安心しています。

この時点で、人に暴力を振るう方や、物に当たってしまったり、その後極端に落ち込んで卑屈になってしまう方が、このブログを読んでいる方の近くにいるとしたら、それはもしかしたら躁鬱の可能性があり、飲むべき薬が全く違います。

逆に、躁鬱なのではないかと、躁鬱の薬をうつ病の方が飲んでしまうと、気分をなだめるような薬なので、どこまでもどこまでも落ち込んでしまうことになるので危険です。そこの判断は、主治医の方とよく相談して決めていくべきだと思います。

 

 

このブログでは、私は最後に必ず課題を書いています。

なので今回も課題を出そうと思います!

それは、『早寝早起き』!です。

 

今年度、私は父の会社に就職しました。

リハビリという形で私の体に合わせたシフトを組んでもらっています。

そして、就職祝いにすごくうるさい目覚まし時計を貰いました!ずっと欲しかったので。

 

そして、それを使って1日目、6時に起きて1時間休憩、そして朝から体操をしたりして8時に出勤。元気に1日を過ごしました。

しかーし。その次の日から目覚まし時計に異変が…?

 

音が鳴らない!アラームを何度セットしても、音が鳴らず、朝寝坊をしてしまいます!いつの間にか昼に!

 

困ったなぁ。どうしたもんか。と思っていたら、

父から恐ろしいことを言われたのです。。。『今日、朝ビックリしたよ〜。お前の目覚まし時計本当うるさいな。警報でもなったんかと思ったわ。』

 

!?

 

鳴ってたの!?

 

目が点になりました。病的に起きれないのです。

まぁ、健康な方も朝が辛いって人、たくさんいますよね。なのでそこは、そこだけはマジで気力だと思うのですが、起きれても、起き上がれないのですよね。いやー、リフレックスおそるべしぃ、本当っもうっ、薬の副作用ってイヤーね!!と言いたい…ただこればっかりは昔と変わらんッッ

 

そして私は今、ハイテクにiPhoneを使っています。

ヘイ、Siri!ちょー便利!

私『ヘイ、Siri!20分後にアラームセット!』

Siri『かしこまりました(?)』

 

20分後…

 

私『えー…もう?…ヘイSiri20分後にアラームセット…』

Siri『かしこまりました』

 

 

昼間起きてビックリ、

あれいくつアラームセッティングできるんですか!?

私の二度寝の証拠がズラリ…

 

いやー、恐れ入ります。

ヘイSiriやめないとかな笑笑

 

 

ということで、早寝早起き を徹底して、

生活習慣を見直すことがとりあえず課題です。

 

 

 

みなさんも、睡眠や食事を大事にして健康的に仕事や趣味を楽しんでいきましょうね。

〇〇⇨☆☆⇨◻︎◻︎⇨☆☆☆☆☆!!!

 

お久しぶりの更新です。

最近、無理をし過ぎたせいか不安定で、夕方よく具合が悪くなってしまうので人との連絡等も控えていました。

 

前回のブログの最後に予告していた通り、

まだ発作や不安に襲われる根本的な理由を見つめてみようと思います。

 

うつ病になり、私はいろいろなことを学びました。

いろいろなことで自分を縛っていたということ。多少自分を縛ることは大切だけれども、必要以上に縛り付けていたこと。

自分は自立できていると思っていたけれど、これまでちゃんとした規則正しい生活を全く送れていなかったということ。時間の上手な使い方等を日々学んでいます。

今、できるだけ規則正しく決められた時間に決められたことをして生活しています。

そうしてどんどん(うつ病になる以前よりも)普通の生活を送れるようになってきています。

 

私の今の一番の目標といえば、長時間1人で外出できるようになること、人とコミュニケーションをとれるようになること。です。

そうするためにアルバイトをしたりして、どんどん社会復帰していきたいと考えています。

ただすぐにすぐとは厳しいので、しばらく家業を手伝わせてもらうことにして、仕事をするということに体を慣らしていこうと考えています。

本当に恵まれた環境にいると思います。両親と兄にも感謝感謝です。

 

話を元に戻して、私が発作や不安になるときは、無理をして動き過ぎたり、大勢の人に囲まれたり、騒がしいところに長時間いたり、家族以外の人と長時間いたりするときによくなります。

でもこれらを克服しなければ、外部との接触を遮断してしまうことになり、そうした世間から取り残されるということも不安要素になってしまいます。

 

人といるときに、一体何に不安を感じるのだろう。

 

私は必要以上に人に気を遣ったり、誰かの助けになろうと一生懸命になり過ぎたり、人の期待に応えようと頑張り過ぎたり、いい自分を見せようとして、空回りしてしまうことがよくあります。

友達から、いい友達だよ。と言われても、優しいと言われても、両親から大切な存在だ。と言われても、心から信じることができない自分がいて、私の大好きな・大切な人たちは、どうせ私のことなんか嫌いなのだろう。と被害妄想をしてしまいます。

一番の怖いのは人から嫌われることなのだと思います。

嫌われる勇気という本やドラマがあるくらいですから、きっとこれは誰もが抱える悩みなのではないかと思います。人から嫌われて平気な人はなかなかいないと思います。

 

人からよく見られたい。嫌われたくない。と必死になったり、

人前に出ることが恥ずかしかったり、

期待に応えようと頑張り過ぎてしまったり、

褒められても心から喜ぶことができなかったり、

 

そうした悩みの根本にある共通点は

"自分への自信の無さ"  だと思いました。

 

これもきっと、いろんな人が悩むことではないかと思います。みんな自分に自信を持つために、勉強したり、自分を磨いたりしますよね。

 

そうです、私は人生の根本的なことに悩んでいます。

 

もしこれが解決できたら、人生においてとても強みになると思います。

いい仕事をしたり、自分を売り込んだりするには、多少なりとも自信が必要です。

ただ、自信満々になにかをすることはとってもいいことですが、自分に完全に満足してしまってそれ以上努力や成長をしないということとは違います。

 

「そんな自分に自信を持つなんて、無理無理!」

たしかに難しい課題ですよね。。。

生きていれば隣の芝生が青く見えてしまうこともありますし、

ナルシスト!とか思われちゃうんじゃないか…とか

でも、自信を持って、なにかをしている人はすぐにわかります。なぜならキラキラしているからです。一番わかりやすい例だと、モデルや、俳優女優の仕事をしている人。私の両親や兄もそうです。自信を持って仕事をしているとき、キラッキラしています。それは本当にいいことで、自分や自分の仕事に自信を持てたら、仕事も人生もきっと楽しいです。

 

どうやったら、自信を持てるだろう。

 

自信が持てること。って?見つけるのは難しいです。

でも、私は自分を除く、人のいいところや得意なところを見つける力には自信があります。

人を見ていて、みんなそれぞれにすごいと思うところや自信を持つべきことがたくさんあると思います。まずそれを自分に向けなよ、と思いますけどそれは難しい笑

 

私はもんの凄い運動音痴なんですが、運動できる人にすごいね!とか、もっと自信を持つべきだよ!と言っても、大抵、運動神経がいい人なんていっぱいいるし、1番にはなれない。という言葉が返ってきます。

気がつきましたか?こういう人がなぜ自信を持てないか。

その大きな理由は1番になろうとするからです。

前にも別の話題で言いましたが、1番なんて誰が決めるんでしょうか。2020年に東京オリンピックがあるのになんとなく説得力ないですかね?笑

でも、とある選手が勝てなかった相手が、そのとある選手が勝てた人に負けてしまうというようにジャンケンみたいなトライアングルが出来ちゃうことだってあるのです。

それはほんの一瞬の運だったり、とにかくなにに対してもいちばんなんて決めるのは難しいのです。

 

とか言ってしまうと、優勝🏅や勝利するために努力してる人に大変失礼ですが(^_^;)勝利したいと思うことも、きっと根本には自分に自信を持ちたいという気持ちがあると思います。

勝利しつづけて、自分に自信ももてて、その先に何があるのか。何を求めるのか。

たぶん"幸せ"なのではないかと思います。

ということは、勝利⇨自分に自信を持つ⇨幸せ?

幸せにはなりたい。けどさっき1番は無いって言ったばかりだし…ああどうすればいいの。

 

私は得意だ!と言えるものはありませんが、つねに対等に勝負できる相手がたった1人います。

それは自分です。自分には勝利することや、1番になることができます!

じゃあ幸せになるには?私は前にもお話ししましたが誰よりもたくさん幸せを知っています。

 

私は今、タンスから洋服を出してそれを着ることができるんです!!それって健康な人からしたら全然すごく無いです。でも、私は自分に勝利しています。

そして幸せです。

何かする時に、つらーい。やりたくない。どうでもいい。と思って適当にこなしてしまったら、超絶つまらないし、自分にも気持ち的に負けていて、ただただ苦痛でしかないです。

でも、もし、ひとつひとつのことに自分頑張った!とか乗り越えられた!と思えたら、とても楽しくて充実していてやりがいがあって、自分に勝利できています。そして幸せです。

 

充実ややりがい、それって自己満足ですが、とても幸せですよね。何に対しても、今できることを精一杯こなして自分に勝利して、自分をすこしでも褒めてあげれたら、小さな幸せを感じれて、そうしたひとつひとつの小さな幸せの積み重ねが、大きな自信や幸せに繋がるとおもいます。

つまり、

(自分に)勝利⇨ちっちゃな幸せ⇨自信⇨幸せ!WOW!

 

 

あれ、なんだか自信が溢れてきたような…

 

そうじゃないような…笑

できないことがまだまだたくさんあるから先は長ーーぁいですが、

 

 

今できることを、着々と、一所懸命こなしていくことが

 

私の今後の課題です!!