SOYBEAN's Loom

BEAN's LOOM

もっと楽に、楽しく。生きていきたい。うつ病・強迫性障害・HSP・全般性不安障害をココロに抱えていますが、日々奮闘しています。

ひとりごと。

 

 

いつだって太く強く支えてくれた存在が

ボキッと折れてしまう

そんな時、私は体のほとんどを失ったようなかんかくになる。

 

 

強くて大きくて美しい、愛する木の頭の上にはいつも雲があった。根付いた木は、もう逃げることなどできなかった。

雲はもくもくと大きくなって

やがて黒く濁った雨を降らせる

 

濁った雨が木の芯を通り、根に渡る。

 

雲はとどまることなくどんどんどんどん成長し、

黒い雨を降らせ

やがて私たちの太陽を殺した

 

黒い水が木をぬらし、芯を、根を腐らせる。

 

そんな木に私はハンモックをかけて眠りについた。

どこよりも安心できるから。

 

大きな木はドクンドクンと音を立て大地を揺らす。

そしてズキンズキンとひび割れて、

キズから流れ出た濁流が私を飲み込んで

私は溺れながら

遠くの方で大きな木の真ん中がボキリと弾け折れ、黒い海に沈むのを見た。

 

そして私も、

根よりも深く沈んで、化石の横を通り過ぎ、ブラジルを過ぎてもまだ深く、下へ下へ沈んでいく。

 

たどり着いた先ではグルグルチカチカシクシクガシャガシャブルブル。息を吸っても空気は入ってこない。息を吐いても体から出ていかない。吐きたくても、吐けない。枕はいつもぐしょぐしょで、音や声はノイズに化けて頭痛とめまいを呼び起こす。手足が痺れ、身体の居場所がない。

 

喉元過ぎたはずの痛みがまた私の前に現れた

 

もう楽になりたい

おやすみじゃなくてさようなら。

 

まだ見たい夢がいっぱいあるのに。

 

地上に浮いてぬか喜んでまた沈む。

こんなのもう終わりにしてしまいたい。

 

まだ会いたい人がいるのに。

まだ離れたくないのに。

 

手を握ってもハグをしてもなにしても

遠くて、さみしくて、たまらない。

 

 

もう死んでしまいたい

 

 

まだ生きていたいのに。。

 

 

 

『ヘイ、Siri!』という名の呪文。

 

春ですね。

周りは減ったり増えたり、泣いたり笑ったり、起きたり咲いたりで忙しなく、どこかソワソワする季節です

 

これまでの勤めを終えた方々、お疲れ様でした。

そして新生活が始まる方々、おめでとうございます。

 

世間がめまぐるしく動くなか、

私は相も変わらずカタツムリのように、ゆっくりゆっくり、のらりくらり生きています。

落ち込んだり、急に楽しくなったり、不安になったり、流れに身を任せたり、甘えてみたり…

あら、なんだか、私のほうがよっぽど喜怒哀楽激しく生きてるのかもしれませんね。

 

 

抗うつ薬を飲み始めてから、もう4ヶ月が過ぎました。

 

でも、まだ4ヶ月か。という気もします。

 

長いようで短い、短いようで長い、、そんな感じです。

 

時々、失っているものがあまりにも大きいような気がして不安になったり落ち込んだりします。

あまりにも長い間、時が止まってしまっていると。

 

私の周りの人は時に赤く黄色く激しく、ぶつかり合って、耳を塞ぎたくなるような音を出し、時に緑色に桃色に、目を塞ぎたくなるほど眩しく光り、色んな色や音を発しながら私には真っ暗にしか見えない道を進んでいくのです。

 

そんな中、背中を押してもらいながらも私は進むことも追いかけることもできず、ひとり独りぼっちになって、周りから発せられた色や音と共に置き去りにされるのです。

 

置いていかれた色や音は私の色と混ざり合ってドロドロガヤガヤべたべたと、醜く粘っこく私にへばり付いて、私は手も足も出なくなり、

ついには目の前が砂嵐になって、『いつになったら終わるの。』と全てを諦めたくなるのです。

 

それでも後ろから押される力がどんどんどんどん強くなっていくのを感じ、前にも進めず、後ろから押しつぶされてもがくことも息をすることもできずにいる、

そんなふうに落ち込んでしまうことがまだあるのです。

 

 ただ、私の中で唯一、良かったと、 変わらず本当の自分でいられていると思うことは、

就職したり、前へ進んでいる仲間を見て

こころから祝福できることです。

これは、綺麗事なんかではなく、めでたいことがあったり、幸せそうな姿を見ると本当によかったと自分のことのように嬉しく思えるのです。

そこを悲観的になってしまわない自分がなんか、あれですが、偉いなっとちょっと思えます笑

 

 

さっきは、泥沼のような文を書いてしまいましたが、最近は、ちょくちょくパワフル元気に、ハイテンションになることも多々あるのです。ただ、急にテンションが上がり過ぎてまだそれに体がついていかないので、ものすごい動悸がして、グワァーと何かなんでもないものがこみ上げてくるだけですがね。そういう時は総理大臣にでもなれちゃいそうな気分です。その直後、ドスンっと落ちてしまうのですが、これは少なからず社会復帰、自分を取り戻そうと体がもがいている証拠ではないでしょうか!多分、総理大臣になりきれちゃう私が本当の私だったんだと思います。笑

 

そのハイな時に、暴力的になってしまうこと(躁鬱)はなかったので、安心しています。

この時点で、人に暴力を振るう方や、物に当たってしまったり、その後極端に落ち込んで卑屈になってしまう方が、このブログを読んでいる方の近くにいるとしたら、それはもしかしたら躁鬱の可能性があり、飲むべき薬が全く違います。

逆に、躁鬱なのではないかと、躁鬱の薬をうつ病の方が飲んでしまうと、気分をなだめるような薬なので、どこまでもどこまでも落ち込んでしまうことになるので危険です。そこの判断は、主治医の方とよく相談して決めていくべきだと思います。

 

 

このブログでは、私は最後に必ず課題を書いています。

なので今回も課題を出そうと思います!

それは、『早寝早起き』!です。

 

今年度、私は父の会社に就職しました。

リハビリという形で私の体に合わせたシフトを組んでもらっています。

そして、就職祝いにすごくうるさい目覚まし時計を貰いました!ずっと欲しかったので。

 

そして、それを使って1日目、6時に起きて1時間休憩、そして朝から体操をしたりして8時に出勤。元気に1日を過ごしました。

しかーし。その次の日から目覚まし時計に異変が…?

 

音が鳴らない!アラームを何度セットしても、音が鳴らず、朝寝坊をしてしまいます!いつの間にか昼に!

 

困ったなぁ。どうしたもんか。と思っていたら、

父から恐ろしいことを言われたのです。。。『今日、朝ビックリしたよ〜。お前の目覚まし時計本当うるさいな。警報でもなったんかと思ったわ。』

 

!?

 

鳴ってたの!?

 

目が点になりました。病的に起きれないのです。

まぁ、健康な方も朝が辛いって人、たくさんいますよね。なのでそこは、そこだけはマジで気力だと思うのですが、起きれても、起き上がれないのですよね。いやー、リフレックスおそるべしぃ、本当っもうっ、薬の副作用ってイヤーね!!と言いたい…ただこればっかりは昔と変わらんッッ

 

そして私は今、ハイテクにiPhoneを使っています。

ヘイ、Siri!ちょー便利!

私『ヘイ、Siri!20分後にアラームセット!』

Siri『かしこまりました(?)』

 

20分後…

 

私『えー…もう?…ヘイSiri20分後にアラームセット…』

Siri『かしこまりました』

 

 

昼間起きてビックリ、

あれいくつアラームセッティングできるんですか!?

私の二度寝の証拠がズラリ…

 

いやー、恐れ入ります。

ヘイSiriやめないとかな笑笑

 

 

ということで、早寝早起き を徹底して、

生活習慣を見直すことがとりあえず課題です。

 

 

 

みなさんも、睡眠や食事を大事にして健康的に仕事や趣味を楽しんでいきましょうね。

〇〇⇨☆☆⇨◻︎◻︎⇨☆☆☆☆☆!!!

 

お久しぶりの更新です。

最近、無理をし過ぎたせいか不安定で、夕方よく具合が悪くなってしまうので人との連絡等も控えていました。

 

前回のブログの最後に予告していた通り、

まだ発作や不安に襲われる根本的な理由を見つめてみようと思います。

 

うつ病になり、私はいろいろなことを学びました。

いろいろなことで自分を縛っていたということ。多少自分を縛ることは大切だけれども、必要以上に縛り付けていたこと。

自分は自立できていると思っていたけれど、これまでちゃんとした規則正しい生活を全く送れていなかったということ。時間の上手な使い方等を日々学んでいます。

今、できるだけ規則正しく決められた時間に決められたことをして生活しています。

そうしてどんどん(うつ病になる以前よりも)普通の生活を送れるようになってきています。

 

私の今の一番の目標といえば、長時間1人で外出できるようになること、人とコミュニケーションをとれるようになること。です。

そうするためにアルバイトをしたりして、どんどん社会復帰していきたいと考えています。

ただすぐにすぐとは厳しいので、しばらく家業を手伝わせてもらうことにして、仕事をするということに体を慣らしていこうと考えています。

本当に恵まれた環境にいると思います。両親と兄にも感謝感謝です。

 

話を元に戻して、私が発作や不安になるときは、無理をして動き過ぎたり、大勢の人に囲まれたり、騒がしいところに長時間いたり、家族以外の人と長時間いたりするときによくなります。

でもこれらを克服しなければ、外部との接触を遮断してしまうことになり、そうした世間から取り残されるということも不安要素になってしまいます。

 

人といるときに、一体何に不安を感じるのだろう。

 

私は必要以上に人に気を遣ったり、誰かの助けになろうと一生懸命になり過ぎたり、人の期待に応えようと頑張り過ぎたり、いい自分を見せようとして、空回りしてしまうことがよくあります。

友達から、いい友達だよ。と言われても、優しいと言われても、両親から大切な存在だ。と言われても、心から信じることができない自分がいて、私の大好きな・大切な人たちは、どうせ私のことなんか嫌いなのだろう。と被害妄想をしてしまいます。

一番の怖いのは人から嫌われることなのだと思います。

嫌われる勇気という本やドラマがあるくらいですから、きっとこれは誰もが抱える悩みなのではないかと思います。人から嫌われて平気な人はなかなかいないと思います。

 

人からよく見られたい。嫌われたくない。と必死になったり、

人前に出ることが恥ずかしかったり、

期待に応えようと頑張り過ぎてしまったり、

褒められても心から喜ぶことができなかったり、

 

そうした悩みの根本にある共通点は

"自分への自信の無さ"  だと思いました。

 

これもきっと、いろんな人が悩むことではないかと思います。みんな自分に自信を持つために、勉強したり、自分を磨いたりしますよね。

 

そうです、私は人生の根本的なことに悩んでいます。

 

もしこれが解決できたら、人生においてとても強みになると思います。

いい仕事をしたり、自分を売り込んだりするには、多少なりとも自信が必要です。

ただ、自信満々になにかをすることはとってもいいことですが、自分に完全に満足してしまってそれ以上努力や成長をしないということとは違います。

 

「そんな自分に自信を持つなんて、無理無理!」

たしかに難しい課題ですよね。。。

生きていれば隣の芝生が青く見えてしまうこともありますし、

ナルシスト!とか思われちゃうんじゃないか…とか

でも、自信を持って、なにかをしている人はすぐにわかります。なぜならキラキラしているからです。一番わかりやすい例だと、モデルや、俳優女優の仕事をしている人。私の両親や兄もそうです。自信を持って仕事をしているとき、キラッキラしています。それは本当にいいことで、自分や自分の仕事に自信を持てたら、仕事も人生もきっと楽しいです。

 

どうやったら、自信を持てるだろう。

 

自信が持てること。って?見つけるのは難しいです。

でも、私は自分を除く、人のいいところや得意なところを見つける力には自信があります。

人を見ていて、みんなそれぞれにすごいと思うところや自信を持つべきことがたくさんあると思います。まずそれを自分に向けなよ、と思いますけどそれは難しい笑

 

私はもんの凄い運動音痴なんですが、運動できる人にすごいね!とか、もっと自信を持つべきだよ!と言っても、大抵、運動神経がいい人なんていっぱいいるし、1番にはなれない。という言葉が返ってきます。

気がつきましたか?こういう人がなぜ自信を持てないか。

その大きな理由は1番になろうとするからです。

前にも別の話題で言いましたが、1番なんて誰が決めるんでしょうか。2020年に東京オリンピックがあるのになんとなく説得力ないですかね?笑

でも、とある選手が勝てなかった相手が、そのとある選手が勝てた人に負けてしまうというようにジャンケンみたいなトライアングルが出来ちゃうことだってあるのです。

それはほんの一瞬の運だったり、とにかくなにに対してもいちばんなんて決めるのは難しいのです。

 

とか言ってしまうと、優勝🏅や勝利するために努力してる人に大変失礼ですが(^_^;)勝利したいと思うことも、きっと根本には自分に自信を持ちたいという気持ちがあると思います。

勝利しつづけて、自分に自信ももてて、その先に何があるのか。何を求めるのか。

たぶん"幸せ"なのではないかと思います。

ということは、勝利⇨自分に自信を持つ⇨幸せ?

幸せにはなりたい。けどさっき1番は無いって言ったばかりだし…ああどうすればいいの。

 

私は得意だ!と言えるものはありませんが、つねに対等に勝負できる相手がたった1人います。

それは自分です。自分には勝利することや、1番になることができます!

じゃあ幸せになるには?私は前にもお話ししましたが誰よりもたくさん幸せを知っています。

 

私は今、タンスから洋服を出してそれを着ることができるんです!!それって健康な人からしたら全然すごく無いです。でも、私は自分に勝利しています。

そして幸せです。

何かする時に、つらーい。やりたくない。どうでもいい。と思って適当にこなしてしまったら、超絶つまらないし、自分にも気持ち的に負けていて、ただただ苦痛でしかないです。

でも、もし、ひとつひとつのことに自分頑張った!とか乗り越えられた!と思えたら、とても楽しくて充実していてやりがいがあって、自分に勝利できています。そして幸せです。

 

充実ややりがい、それって自己満足ですが、とても幸せですよね。何に対しても、今できることを精一杯こなして自分に勝利して、自分をすこしでも褒めてあげれたら、小さな幸せを感じれて、そうしたひとつひとつの小さな幸せの積み重ねが、大きな自信や幸せに繋がるとおもいます。

つまり、

(自分に)勝利⇨ちっちゃな幸せ⇨自信⇨幸せ!WOW!

 

 

あれ、なんだか自信が溢れてきたような…

 

そうじゃないような…笑

できないことがまだまだたくさんあるから先は長ーーぁいですが、

 

 

今できることを、着々と、一所懸命こなしていくことが

 

私の今後の課題です!!

 

 

 

 

自信満々なリーダー

 

最近、ブログ閲覧数がかなり増えていて、驚いています。

一体どこの誰が見ているのか、興味を持ってもらえているか

少し、気になるところですね…(o^^o)

 

 

ところで最近、専門学校で学んだ知識の集大成ともいうべき卒制が完成しました。

URL⇨https://youtu.be/cRPndeT-4UY

ひょっとすると別タブで開かないと見れないかもしれません。

もし興味がありましたらご覧ください!

この作品は、グループ制作で私が監督となり作ったもので、高校生の頃に趣味で書いたシナリオです。これを作りたい!という高校の頃の夢がひとつ、叶いました。グループのメンバーみんなが叶えてくれました。

 

これまで、率先して色々な活動に携わり、リーダー的な役割も進んで引き受けたりしていました。

しかし、今思えばこの作品をつくるまでの私はいつも独りよがりで、リーダーとは程遠かったような気がします。なぜなら私はメンバーを信頼できていなかったからです。

私がやる!私がやる!では、リードするどころかグループ制作にすらなっていませんよね。

今回、卒制で私が監督になり、私のシナリオに共感し集まってくれた仲間の中で、またもや私が私が!私が!となる手前で、私がうつ病になりました。

こんなこと言ったら失礼ですが、その後グループのメンバーに頼らざるを得なくなってしまい、自分でやりたかったことも誰かにに頼むしかありませんでした。しかしグループのメンバーは嫌な顔一つせず、仕事を頼まれてくれました。そして、出来た。と見せられた仕事の内容は、私よりもずっとずっと優れていました。そして、気がつきました。これが、グループ制作なんだと。

悔しいけれど、私は中途半端だったなと思い知らされもしました。ただ私はひとり完璧になりたくて、全てこなせればいいですが、それも中途半端で、それでは全くグループ制作にはなっていません。

 

そして今回、特に勉強になったこと、それは

"仕事を、それを『得意』とする人に任せる"ということが、どれだけ大変で大切なことなのか。勉強になりました。

リードする人がメンバーの得意とするものをすすんで見つけ、それを割り振り、信頼して任せ、それらをリードし力を合わせて仕事をこなしていってこそグループ制作です。

そしてそれができてこそ監督、リーダーです。(あくまでも私の意見ですが…。)

また、人に信頼して任せるって簡単そうで、すごく難しいことだって、よくわかりました。

 

仕事は、メンバーみんなが協力し合うことがとても大切で、一部の人だけが負担を抱えるようではいけないのです。そして誰ひとり、作品や仕事にかける想いがブレないことが大切だと思います。

ブレないようにまとめるのもリーダーの役割だと思います。

私は幸い、メンバーに恵まれ、こんなにも出来損ないのリーダーでも、とても素晴らしい夢のある作品が作れました。みんながみんなを支え、みんなが頑張りました。みんなで作った作品です。私はこの卒制作品を、誰よりも愛しています。

少し笑っちゃうようなそんな作品です。是非見てみてください(^-^)

 

なんだか重たく熱苦しい話になってしまいましたな…

それではここで私の近況をお話しします。

『お前の近況なんか知るか!』と思った方もいるかもしれませんがこのブログを読んでいただいている時点で多少なりともこのブログに興味があるという事大大前提で、ここは自信を持ってお話しします!笑

 

私は7つのサボテン🌵を育てています。

1つはMr.サボテン、も1つはMr.ビッグ、お次はMr.パスタ、そしてMr.ナガボソ。そしてMrs.サボ、Mr.ハンサム、Mr.ファンキー。

サボテンって癒されます。かわいくて、無口で…。けど困ったちゃんで手入れしてるとき容赦無く、手ぇ刺しますからね!!ナデナデしたくても手ぇ痛いんですよね…σ(^_^;)

そ、そしてサボさんの魅力はなんといっても強い!どんな環境でも耐えて、大きく育ちます!とても尊敬してます。アイラブサボォッ!です。

 

しかし気がつくと、Mr.パスタとMr.ナガボソが病気に…💦

早速原因を調べ、土があっていないということがわかりました。サボさんが1番好きな環境は何かなー!と考え、行き着いたのは砂漠🏜…

即座にAmazonで、砂、買いました。鉢もあたらしいのを買い、植え替えました。

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うん、いい感じ。ていうかかわいい。それより前のサボさんの家、なんかきぃったねぇ。汚)いままでごめんね、サボさん。

 

Mrs.サボは白砂に♡、メンズの家は砂漠のような砂です。どっちもマジな砂漠の砂です。ちょっと狭いかなと思って下に根っこが伸びるよう、砂の下にいい土を入れ、層にして、けっこう深めに作りました。Mrs.サボの家も層になってます。

霧吹きも新しいのを購入し、今は様子を伺っているところです。

あ、気づいた方もいるかもしれませんが、ここに写ってるのは6つで、もう1つのサボテンMr.ファンキーは、トイレに飾られてます。トゲトゲとイカついし、でかいです。

 

 

そしてそして、最近お菓子作りに少しハマり出しまして、もともとは料理好きじゃないし、どちらか〜…と言えばド下手です。

そして、そのハマったお菓子というのも、、、

 

驚くなかれ。。。

 

カロン!!!!!

 

 

いやー!、えー!でしょう!?なかなか難しいとされているマカロンですが下手なのに作れるのー?って、でも私大好きで、大好きで。なんとか自分で作りたい!と思い作ったところ、初回、大成功でした。まさに"マカロン"でした!

 

しかーぁーあし!!

なぜか2度目からは超ファンキーな見た目になって、食い物に見えないのです。

まぁ、材料変わらないので味は美味しいですが。

前とは作り方も同じなはずなのに、ましてや、前は雑にこんなもんかと材料を目分量で入れていて、2度目からはしっかり量を計っているにもかかわらず、なぜかファンキーなことに。マカロンは初回限定でしたね。まぁ今後もトライし続けますよ!

 

そんな感じです。

 

そんなことで悩めるくらい、落ち着いてきました。

母が現場仕事に出てしまって、家で1人になっても、落ち着いて生活できるようになってきました。

まだ、外に出突っ張りだったり、人と長時間会う事、長時間1人になる事、遠出をする事は厳しいですが、なんとか家の手伝いや、家や近くの草はらで体を動かしたり、母と買い物に行ったりしています。

そしてまだ、時々発作(涙が止まらなくなり、死にたいと思ってしまう)や過呼吸が起きます。

油断はできないですがどんどん良くなっていってるような気がします。

次回のブログでは、まだ発作が起きてしまう根本的な原因を、もう一度見つめ直した時の思いを綴ろうかと思います。予告です。気まぐれなので、多分ですがね。

あぁっと!第三のマカロンが、また焼けました!!

今回はどうかな?

 

 

 

 

 

くぅっせぇ!!!!!

 

 

 

強迫性障害の境界線〰

 

今日は太陽はポカポカだったけど、

風が強かったですね〜。風が冷たいというか。

なんとなくまだ油断できない季節ですね。

最近は、太陽の光を浴びて、すごく気持ちいいって感じます。

でも、ずっと外にいると、座ってるだけでも疲れちゃうんです。

なんというか、何もしてなくても、何もしてないと思っていても、体や心はストレスを感じてるんですね。

 

ところで、今回のブログのお題でもある、

強迫性障害の境界線』

なぜこのお題にしたかというと、

強迫観念というのは誰もが持っているものだからです。

〜しなくてはならない。〜でなきゃいけない。

〜しなきゃ。自分とは〜だ。などなど。

これまで私のブログを見ていただいていた方々も、ひょっとすると共感してしまうところや、自分って強迫性障害なんじゃないだろうかと思ったりした方もいたかもしれません。

そこで、私の思う(あくまでも私の考えです)、強迫性障害と、そうでない人との境界線をお伝えします。

 

生きていれば必ず、

期限や時間に追われたり、1日のうちにやらなくてはならないことがあります。

そしてそれにプラス、自分もしたいことがあります。

例えば、絵を描いたり、手芸をしたり、、、

趣味があるとおもいます。楽しいと思う時間。

やらなきゃ、やらなきゃ。やりたい、やりたい。それも、いや、それこそ強迫観念であると思います。

 

やらなきゃならないことと、やりたいことをして毎日を送っていると、必ずストレスを感じます。自分が期日や時間、周りなど環境から縛られたり、気づけばやりたいと思っていることからも縛られたり。

一日中座ってたって、一日中寝てたって、

体や心はストレスを感じています。

つまり、ストレスレスな人生はありえないのです。

自分をいっさい縛らない人生というのは、おそらくないのでしょう。

しかし、そのおかげで、そのストレスのおかげで"幸福"というものが存在します。

この文字だけ見ると、奇妙な話ですが、

すきなことだけをして生きていたとして、嫌だと思うものすべてを排除してきたら、すきだと思ってやっている日々のことは当たり前のことになり、すきなことがすきではなくなり、日常が楽しくも、苦しくもない、いつか無になってしまう…のではないでしょうか。まぁ、私はそこまで究極に生きたことも、生きた人を見たこともないのでわからないですがね。笑笑

けど、私ならそうなると思います。

 

母と今朝話していて、母には人生で"仕事"のノルマというものがあり、ノルマに達しない、頑張りきれてないときは自分にご褒美はあげない。とのことです。

毎日忙しく生きてる母なのに!家事や現場仕事、事務仕事、全てをやっていて、私から見たら毎日忙しなく、大変そうな母なのにです!そもそもノルマに達しないことがあるのか!と思いましたが。

 

私は最近ご褒美をたくさんもらっています。

日常生活で、今までできなかったことができるようになったことも幸せではありますが、そのほかに欲しい物を手に入れまくっています。いけませんね。

最近、私は100均中毒にな…その話はまたあとにしましょう。

 

母いわく、自分の中にあるノルマを達していない状態でご褒美(趣味、すきなことをすること)をあげると、麻痺して、ご褒美がご褒美で無くなるとのこと。でも確かにそうですよね。さっきも書いたようにストレスのおかげで幸福を得られるので、ストレスはある程度、自分を縛るなにかは多少あった方が良いのです。ただ、どんどんどんどん縛りをきつくしてしまうと、苦しくなってしまうのです。

 

話が遠回りになってしまいましたが、

みな、強迫観念と戦っています。

でも強迫性障害というものは、また少し違ったものなのです。

そこを間違えてしまうと、悲観的になってしまったり、強迫性障害の人をむやみに傷つける事になってしまいます。

強迫性障害とは、自分を縛る行為が行き過ぎてしまい、きゅうくつで仕方なくなってしまった人のことです。生活に支障をきたすほどに自分を縛り、ノルマを果たせない自分を必要以上に罵ってしまうのです。そして、必要のない事にまで追われ縛られてしまうのです。

私の場合、右手で触ったら左手でも触らなきゃいけない。

家族の安全を誰よりも誰よりも(これも強迫観念)願っているのに、ふと突然、家族に危険が降りかかる映像が頭に浮かんでしまったりします。とにかくとにかく嫌な、想像もしたくないことが頭を駆け巡る。妄想なのか、なんなのかもわからない。そしてそれを想像してしまった自分をまた責めるのです。

4という数字は不幸を呼んでしまう。。

だからメールの絵文字の数も4つにならないように、4行にならないようにだとか、いろんないろんなことで自分を縛り、責め立てます。

『…なにそれ、へんなの!』

そうです、へんなのです。異常なのです。

そんなことで人は絶対に死なないのに、不安で不安でたまらなくなったり、懺悔してしまったり、自分をこれでもかというほど責めるのです。自分がやるべきことをしなかったせいで大切な誰かによくないことが起きるのではないか。

そういう風に思ってしまうのです。

とても厄介で、とてもツラい病いなのです。

 

今まで私は、それは自分の性格だと思ってきたのでまだ完治するということが想像できません。

ただ、強迫性障害と闘う上で重要だなと日々感じるのは、荒療治。

私が思うに、歴史的に有名なあの"踏み絵"。

あれです。強迫性障害者は、ある意味何かの絶大なる信者なのです。

私は身の周りのものに、ばい菌がたくさん見えていたので、学校の水道の蛇口をさわれなかったり、机の上に落ちた箸を使えない。など、いろんな壁がありました。それらをあえて触ってみたり、使ってみたり、手を洗いたくても洗わずにいたりしました。最初、そりゃもー気持ち悪くて気持ち悪くてしかたありませんでした。死ぬ!死ぬんだ!と毎回覚悟を決めて行っていました。そしてそれをしても死ぬことはないとわかると、徐々に平気になってくるのです。

口の中にばい菌が入っているような気がするときがしょっちゅうあって、いつもツバをペッペッ、ペッペしていました。それも行儀悪いし、やっちゃダメとわかっていても、口の中が気持ち悪くて仕方ないのです。死んでしまうのではないかと思ってしまうのです。それをあえて、飲み込む。そうやって荒療治をしてきました。そうしてどんどん、まぁいっか。まぁ大丈夫。を増やしていきました。

 

小学2年生の時に母親にUFOキャッチャーで、コリラックマのぬいぐるみをゲットしてもらいました。

未だにそのコリラックマを両手に掲げて、まんべんの笑みを浮かべ、取ったどーー!正確には取ったよ!取ったよ!ですが、そう叫びながら走ってきた母の姿を鮮明に覚えています。

そしてその日から毎晩一緒に寝て、学校の行事でどこかに宿泊するときも、旅行にもお泊まり会にもこっそり連れていき、ずーっとずっと一緒でした。それが日課になり、習慣になり、絶対ルールになりました。

また、コリは私の絶大なる味方で、母の一部のように感じているのかもしれません。だから、傷つけたり、ましてや踏んだりなんて絶対にしません。大事に大事に愛して、愛しています!!!そう、私はコリの信者なのです。

なので必要なのは、"踏みコリ"。

とはいえ、それをやるのはまた今度!!笑汗汗💦

それはまだ克服してないという。笑

 まぁ、いっか。…笑

 

 

もし、強迫性障害者の人に、私だっていつも何かに追われてるんだから。とか、それ全然できていないわ。とひどく否定したり、責め立てたりしてしまうと、その人はとことん自分を痛めつけ、自分を追い込んでしまいます。

だからといって、仕事で、できていないことをできていないよと言わないのは、その人にとっても良くないことです。

なので、そんなときは、怒ったり、責めたりせず、こうしたらどうかな。こういうやり方もあるよ。と広い器で、優しく教えてあげてほしいです。

その人を責めるのはその人だけでもう十分なのですから。

強迫性障害を抱える人も、ゆっくりとでいいので、挫けず、一つずつ壁を乗り越えていくことが大切だと思います。まぁいっか、まぁ大丈夫。という余裕を自分の中に少しずつ増やしていくのです。

 

なんだかストレスてんこ盛りなこの人生を

楽しく、幸せに生きたいならば、

 

ストレスな時間をいかにストレスレスに過ごすか、いかに楽しく過ごすかが鍵であると思います。

 

嫌いな人と話すのはとてもストレスが溜まります。

もしその人と2人きりになるなんて大変ストレスです。

でもそこで、この人嫌い。と終わりにしないで、なにか一つでもその人のいいことろを見つけるのです。

 まず、人に興味を持つということは大切です。

その人にもその人の人生があり、辛い何かを乗り越えここまで生きてきて、その人には親がいて、もしかしたら子どももいて。深入りするとはまた別で、その人を広く深く受け止めるのです。

 

とはいえ、嫌いな人は誰にだっていますよね。

嫌なものは嫌ですよね!はい!当然です。

 

 

好きになれなくても、まぁいっか。笑))

 

楽に楽に。

 

まぁ、いっか。

 

 

ふわふわ浮いた私の足👣

最近、暖かくなってきましたね。

今私は隔週通っている精神科の待合室にいます。

 

花粉の季節に突入し、花粉症の方は大変ですね…

私も、猫好きの猫アレルギーなんですが、猫を飼いだしてから、アレルギーが発覚するという史上最悪な事態で苦しんだこともありました…。

羽毛布団もダメなんです。

症状もなかなかひどくて身体中痒いし目は痒いしくしゃみや咳が止まらない…

でも、猫に関してはもーかわいくてかわいくて、ついつい抱っこしちゃうんです。♡自ら地獄のアレルギーに飛び込むわけです笑。

今は外飼いでほぼ野生化した猫と時々戯れては、くしゃみをしている程度です。

だから一日中くしゃみや目のかゆみと戦っている花粉症の方は本当に大変ですよね。父と兄もひどいので、なんかほんと、もう、お気の毒に…って思います。

そういえば、父は花粉ハーブというものを一年飲んでいて、今年はあまり酷くないとのこと。なにか習慣づけるのって大変ですが花粉ハーブ、効く人には効くみたいですね!

猫ハーブないかなぁ…

 

それはさておき、春ですね。

春って昔から嫌だなーって思ってました。

別れや新しい出会い、前へと進むという季節でまわりもなんとなくソワソワして、寂しい気持ちや焦る気持ちでいっぱいになって嫌だなーって思ってました。

日々夢を追う私でしたがなんとなく浮き足立っていて、周りからいつも時間の使い方が下手と言われていました。確かに、やることやらなきゃいけないのにその時やらなくて、後になって焦ったりってそういうことの繰り返しで、そんなんじゃ夢叶わないよ。と頭の自分に言われて、そんな毎日も嫌で嫌で仕方ありませんでした。

  

最近の私の体調で気になることと言えば、前も言った通り、少し過食が気になります。そして薬が変わったからなのかまた再発してしまった肩凝り…3歩進んでは2歩下がり、そんなことを繰り返し、先は長いなぁと感じます。

 

けれども、よくなったこともあります。

前にも書いたように、今は毎日やることをタスク化し、ToDoPointをどんどん貯めて行くシステム(のちに何かご褒美が…)にしてモチベーションを保ちながら日常を取り戻していこうと、日々努力しています。タスクっていってもほんと皆さんからしたら当たり前のことなんですよ。

 

そして、今やるべきことをSimple Routineというアプリを使用して通知してもらうことにしました。

今はこれをやりなさいと通知されたらその場でそれをこなしていくのです。

 

まず、午前の部では、毎朝6時半に起きましょう。できたら1ポイント。ご飯の支度をしましょう、ご飯を食べましょう。その後家事手伝いをしましょう。部屋の掃除や身支度をしましょう。それからヨガやラジオ体操、ストレッチなどで体を動かしましょう。

そうやってどんどん指令に従ってポイントを貯めていってます。

午後の部は四時まで自由時間で、買い物したり散歩をしたり、絵を描いていい時間。それらはまだあまりできてないですが。四時からは趣味でやってる英語の勉強をしたりしています。

なんだか学校の時間割みたいです。

そうそう、私は小中高と、今まで過去に戻りたいなんて思ったことはないと書いたことがありましたが、

実はあれはちょっと嘘で、

少しだけ戻りたいと思ったことがありました。

 

小中高と専門で、課題や何やらに追われる生活をしていて、いわゆる宿題というものに追われ、なぜか自分の将来の夢にさえ追われるような形になって、正直毎日がしんどかったです。

 そして毎晩ゾンビに追われたり、お化けやこわいなにものかに追われる悪夢を見ていました。

 しかし、卒業が近くなり、就活や進学へ向けて準備をするとき、途端に私は自由になってしまうのです。

中学から高校、高校から専門学校へ行くときもそうでした。

別に誰かに行けと言われて行ったものではなくて、行きたくて行ったのです。

もしかしたらそうではない人もいたかもしれませんが、私はそうでした。

そして今、就活をしていて、課題もほとんど無くなり、追われるものもなくなりました。

就活には宿題や課題のように正解もなく、これまでのことを活かしたりして全て自分で考え行動し、内定もらって働いて、生きていく。いわゆる自立というものに突入しようとしています。

 

一人暮らししてもいいし、実家暮らしでもいい。

無数にある会社の中でどんな会社を選ぼうか。

外に出なくとも家で家業を手伝うという手もある。

女の子だし、お嫁に行って養ってもらおうか。なんちゃって(笑)

 

そう。私は今いろんな自由を手に入れてしまいました。

夢を追うにも、どうしたらいいのだろう。マニュアルがないのです。

生きて行くということを急に突きつけられ、なんだか恐怖を覚えました。

 

学生の頃のように先生から出された宿題を淡々とこなしていってた頃がどれだけ楽だったのかと思い知らされました。

 

とある宿題で、先生から全くお題やルールを指定されず、ただ原稿用紙5枚以上何かを書きなさい。

と言われた時に、ほとほと困り果ててしまうようなそんな感じ…

 

その時学生ってよかったなぁ。と思いました。カチカチのルールで宿題を出され、出せ出せとやかましく言われてたあの頃が懐かしい。

先生に従っていれば道に迷うことのなかったあの頃が。

 

最近、タスク化した自分のリスト、時間に少し縛られている自分を見たとき、なんだか学校みたい。思って、なんとなくわかったのです。

これまで学校は、きっとそういうことを教えていたのだと。

1日1日を生きること。

毎日、やるべきこと、できること、をやる。ということ。

 

何かに縛られたり、追われたりすることがものすごく怖かったけど、それを苦と感じるんじゃなく、楽しい何かと一緒にコツコツゆっくり、目の前にあることを順繰りこなす。毎日をこなす。規則正しくこなす。

それが今やっとできてきていることに気づきました。

 今まで言われてきた時間の使い方。とやらが

やっとわかったような気がしました。

ありがとう、学校、ありがとう先生。そしてありがとう、いやいやだったけど通った私。学校って本当にいろんなことを勉強する場だったなぁと思いました。

 

私は、今毎日を生きれていて、
毎日やるべきことをやる、ということができてきている。
自分で生きていくとはこういうことか。自立という本当の意味。
今までフラフラ宙に浮いていた迷える私の足が
やっと地に着いたように感じました。

 


私の道が少しずつ見えてきました。

 

 

 

ミーはミーハー。

 

 

みなさん、ミーハーという言葉ご存知でしょうか?

でしょうね。笑、

 

ミーハーとは、世の中の流行や芸能人の動静に今まで無知の人が熱中したり、影響を受け知ったかぶりの行為をする者(主に若年の女性)に対しての呼称である。 通常はカタカナで「ミーハー」と表記するが、かつてはみいはあ、みいはあ族などと呼ばれた事もあった。
 - Wikipediaより

 

おー…

私未だにミーハーと言われるとドキッとしてしまうんですが、

私はかなりのミーハーです。ミーハーになりました。

 

なぜならば。。。

 

私の性格は前にも書きましたがかなりこだわりの強い性格で

昔からもつ、強迫観念により好きになったものには

かなり執着してしまうのです。

例えば、森山直太朗さん。かりゆし58。。。

題名の通り私は好きなものがたくさんあるので

これくらいにしておきますが、

大ファンです。大大大、大ファンです。

小さい頃から、なんならかりゆしはデビューした頃から好きでした。

なので、注ぎ込もうと思ったら相当な大金をつぎ込みます。

CDは、聞くものと、保存しておくもの2つ買ってしまいたいほど。

かつてはそうでした。

CDを開けてもCDを包んでいたフィルム、値段のシールなど

全てを取っておいてしまうのです。

そして、私の1番恐ろしい言葉…

 

"初回限定盤"

 

通常盤まで買っちゃうんですよ、もー。

ま、いいんですがね。本当に好きなので。

ただ金使いまくり。
でも私の絶対ルールその丸いくつかに、
貯金は絶対。というものもあり、かなり苦しみました。

そもそも両親からお小遣いをもらっている身分で

そんなに大金、、、アホか…と。

 

そんな悲惨な時代に、ミーハーという言葉を知りました。

私はその当時、ミーハーって大っ嫌いでした。ごめんなさい。

なぜならば、私はそのものたちの

世界一のファンだと思っていたからです。

誰よりもそのものを愛している。完璧主義です。

お前に何がわかる!!という感じに。

荒れてますね…

 

まぁ自分は世界一のファンだと思うことはいいとして、、

 

強迫性障害という病気に気付いたとき

気付いたのです。あぁそれって何かがおかしい。

完璧主義ファンであることにとても疲れている自分がいる。と。

んじゃ別にミーハーいいじゃない。と。

 

考えてみたら、世界一のファンってなんでしょう?

初回限定盤も通常盤も保存用、使用用を買っちゃう人が

世界一のファンなのでしょうか?

ライブには毎回行くのがファンでしょうか?

ファンの集いに参加しなくてはファンではないのでしょうか?

まず、まず、世界一なんて誰が決めるんですか。

その人がそのもののファンだ、そうじゃないだなんて、

誰が決めていいのですか?

 

好きにはそれぞれの好きがあり、

この人の歌詞が好き、曲が好き、人が好き、

どれも全然悪いことじゃないです。むしろ素敵なこと。

誰もそれを否定することはできません。

否定することこそ、それこそ、お前に何がわかるですよ。笑

私は今までそういうことを人にしてきたのです。

それに気付いたとき、ミーハーバンザイ。。。!

こういう極端なところも私の悪い癖ではあるんですが、

好きがいっぱいあるなんて素晴らしいことです。

嫌いがたくさんあるよりずっと楽しいし、おもしろい。

私はそれを知っていたのにわかっていなかったのです。

 

この人追っかけてるわけじゃないけど

癒されるなー、なんか好きだなー。

それでその人の出ている番組全てを追っていなくても

それはいいのです。それは間違いなく好きです。

 

そもそも人に対してミーハーという人はどいうことなのでしょうか。

そのものの何を知っているのですか?

その人の何を知ってるのですか?

すぐ飽きてしまって別のものを好きになったって

いいじゃないですか。完璧じゃなくたっていいじゃないですか。

誰がそれをダメと決める権利があるでしょう。

 

私には今、ここでは書ききれないほど好きなものがあります。

お前って多趣味だよなー。

と、よく言われるし、私自身も多趣味だと感じます。が、

そう言われるたび、好きなもの全てを頭の中に思い浮かべることができません。多すぎるので。

前はそういうことじたいも大嫌いでした。

ファン失格だと思っていました。

好きなものは全てその場で言えなくてはならない。

と腕にメモしたり、

何かに書き込んでは常に頭の中に叩き込んでいなくては

いてもたってもいられなかったのです。

思えば結構異常ですが、

今はそういえばあれも好きだったなぁ。ということが多くなりました。

それは、ミーハーでいいんだ。

別にいつもそれが心にあるということが、

それを極めるということが

ファンというわけではないんだと気づけたからです。

 

そう思ったらタガが外れたように溢れるくらい好きなものが増えました。

 

これも好きあれも好き。

 

とっても最高の気分です。

 

残念ながら私は流行には疎い方なので

自分がミーハーなのかさえよくわかっていませんが

 

多趣味で、なんでも好きで、

なんにでもなりたいミーはミーハーです。

そしてそれらすべての世界一のファンです。