SOYBEAN's inc

SOYBEAN's Inc.

もっと楽に、楽しく。生きていきたい。社長はというと、うつ病・強迫性障害・HSP・全般性不安障害をココロに抱えていますが、夢のために日々奮闘しています。

恐怖のバレンタインシュタイン…

 

最近、吐き気や息切れなどなど

動くことができないほどの症状は薬のおかげで出ていないので

今日から少しだけ無理をするようにしてみました。

日々、最低でもやるべき何かを

"リズムケア"というアプリにタスク化し、

今までできなかった何かをこなし、

チェックするたびに1ポイントといった形で

モチベーションを上げながら行うことに決めました。

 

やらなきゃいけないことと言っても、

自分の食事を準備し、食べる。

これで2ポイント。

健康な人にとっては驚くほど簡単なものです。

 

貯めたポイントで、何か自分にご褒美をしたいものです。

でも、思いつくものといえば…

 

 

今、私生活で最も喜びを感じるものは"食"です。

今ようやくいろんなものが美味しく感じます。

もともと好き嫌いがないので、

あとは食べることをしっかりと習慣付ければいいだけで、、

毎食毎食幸せです。

 

それはさておき

私は寝る前にリフレックスという薬を服用しています。

この薬は、なかなか強烈で、麻酔を打たれたかのように眠くなる薬で、

夜しっかり熟睡できていなかった私を救ってくれた薬です。

飲み始めてから1週間近くが経ち、体も慣れて

服用してもフラフラしてしまうということはなくなりました。

 

順調です!

 

 

しかしぃぃ!!

これまで全く甘党ではなかった私が、チョコをボリボリ。

クッキーボリボリ。マフィンをボリ…マフマフ…

なんとまぁな状況です。

 

ネットを見てみると、服用すると甘いものを食べたくなるという人や、

過食症になってしまう人も中に入るようです。

 

そんな中…おぉぉおぉ…きてしまいましたバレンタイン!

ありがたいことにたくさんのお菓子をいただきました。

そのどれもが身体中に染み渡るように美味しかったです。

でも。毎日食べ過ぎてしまっていて、ちょっと困っています。笑

鼻血が出ちゃうんじゃないかってほどです。

今まで、ご飯が美味しく感じれなかった私には

ありがたい悩みですが、このままでは、あなた誰?

となってしまいそうです。焦

あまり食べ過ぎは体に良くないので、ちまちま食べてるつもりでも

あれ!!!もう無い!!!

ということで、

いただいたバレンタイン、(もう)ごちそうさまでした。

 

ほんとにほんとに心の底からありがとうみなさま、

そして食材たち、可愛い包装紙たち。

でもあまり美味しすぎるものにならないで…

 

恐るべしバレンタインシュタイン。

そんな甘すぎるバレンタインデーを過ごしました。

とっても幸せでした。

 

 

幸せって?

 

幸せってなんでしょう?

この世の誰もが幸せになりたいって思っていると思います。

もしそんなことない私は不幸でいい。という人がいるならば、それは不幸になることで、幸を得てることに気づかないでしょうか。

 

前の記事を読んだ人は知っての通り、

私は今、うつ病です。

私は鬱なんだー!辛いんだー!だから助けるのは当たり前でしょ?可哀想と思ってよ!と悲劇のヒロインのように自分勝手に生きていけたら楽ですが、うつ病患者はかなり、肩身がせまい思いをしています。

仕事を終え帰って来た母を手伝うこともできず、両親の1日の楽しみでもあるテレビも、私のせいで見ることができず、映画も観れない、どこにもいけない、大きな音を出さないで、怖い怖い。そんなことばっかりで、申し訳なさでいっぱいで、その都度私ってなんで生きてるの?ほんとに生きてていいの?と思っていました。

私の母は、私のその想いを手に取るようにわかってくれました。私の母は、忙しいながらも、うつのことを片っ端から調べ、誰よりも努力し私の支えになってくれる一番の理解者です。

 

私の家は自営業で、父母兄、そのほか3人の従業員達と造園土木の会社を経営しています。父はものすごい頑張り屋で苦労してたくさんの仕事をとってきて、ありがたいことに父の会社は大忙しです。そんな大忙しの毎日に、急にひとり、うつになった家族ができたわけです。たぶん、口には出さなくとも超迷惑だったと思います。

そんな中、母は誰よりも私の痛みや苦しみを理解して、私を心配し、仕事を休み、家にいたいと父に訴えました。父や兄は優しいけれど、うつに対してほとんど理解がありませんでした。そんな2人に母は私の知らないところで涙をこらえながら私の辛さや痛みを訴え、父や兄はうつを理解しようと努力してくれるようになりました。

抗うつ薬を処方されてからしばらく経ち、母がつきっきりの毎日を送るようになりました。猫の手も借りたいほど大忙しの父の会社を横目に、申し訳なさでいっぱいでした。

朝私を起こし、決まった時刻に薬を飲ませ、朝昼晩とご飯を作ってくれる母のおかげで私の生活習慣はかなり改善されてきました。ただ、未だに蒸かしたジャガイモを潰したもの、うどん、とにかく喉ごしの良いものしか食べてはいません。噛むこと、飲み込むこと、食べ物を口に運ぶことが億劫で仕方がないのです。

隔週で精神科に行き、何度も何度も薬が変わりました。

今、朝晩、セニランセルトラリンを1錠ずつ、寝る前にリフレックスを1錠飲んでいます。そして頓服薬として、アルプラゾラムが処方されています。

そして今、身支度をしたり、少しの間なら母と一緒に買い物に出たり、徐々にできることが増えて行きました。

吐き気や息苦しさもずいぶんなくなってきて、

顔色が変わったとみんなから言われて、治る兆しが見えてきました。

 

そこに行き着くまで、それまでにたくさんの幸せとありがとうがありました。近くで支えてくれた母と母の分まで必死で仕事をこなしてくれている父と兄。私の大切な元彼。専門学校の、卒制を一緒に作り上げたメンバー。そして今心から言える親友達。祖父母たちや、いろいろな人やもの。

これまでひとり身勝手に孤独を感じ、信じることができなかった私の周りのすべての人達に心の底から感謝し、それと同時に私の存在価値を知ることができました。ごめんね、迷惑かけて。と言うたびに、何を言ってるの、あなただって助けてくれたじゃない。お互い様でしょう。とみんなが手を差し伸べてくれました。

 

相談をされて、親身に聞いてアドバイスをしては、さほど気にしていない当人を見て、愕然としたり、人の相談事にその人以上に親身になって努力して、ただのお節介になってしまって…これまでたくさん人に絶望して、誰も信じずひとり孤独に生きてきたつもりが、実はそうではなかったと痛感しました。

 

私の人生にはたくさんの人がいました。

そして誰かの人生にも私がちゃんといました。

辛い時、私だけのために動いてくれた人がたくさんいました。

たくさん辛いことがあったけど、自分はすごく恵まれた環境にいたことに気がついて、これまで当たり前だったことが幸せに変わりました。

うつになったことで死にたくなるほど苦しかったけれど、あふれんばかりの幸せをいただいた。

 

食べ物が美味しく感じた。

着替えができた。

歯磨きできた。

靴を履けた。

玄関を開けた。外に出れた。

怖かった風が気持ちいいと感じ

うっとおしかった太陽の光が美しいと感じ

真っ暗なベランダで

月の街灯にキラキラ照らされた

 

近頃うっとおしかったこと、胸くそ悪く感じてたものが幸せに感じます。涙が出るほど満ち足りた気分になります。

すると、何処かに行ってしまったはずの、あの頃の私が少しずつ音や匂い、色を発して戻っているのを感じます。

 

ただの砂を見て、見える見えるビーチが見える。

孤島が見える。木々が生い茂ったジャングルも。

iPhoneにつけた水色のクルクルキャッチが見える見えるタヒチの海に見える。

カップの柄が見える見えるお花畑に見える。

 

あぁ、帰ってきた、帰ってきました。

 

なんのへんてつもないものを見て物語や情景が頭の中をぐるぐる回って、毎日が楽しくて仕方なかったあの頃が。ほんとは私、誰よりも幸せを知っていたのです。

 

今はまだ、できることが限られて苦しい時もある。

けどもうすぐ、もうすぐ良くなる。そう言う風に感じます。

 

 

もうそろそろ絵が、描けるかな。

私はどこ?

 

食べる事、夜寝ること、朝起きること、着替えること、今まで大好きだったことをすること、テレビをみることも音楽を聴くことさえもできなくなり、ついに神経科に行きました。私がうつになってから、騒がしかった我が家は信じられないほどの沈黙に包まれていきました。

強烈な疲労感や脱力感、吐き気がするのになぜか吐くことはできない。嘔吐恐怖症にもなっていきました。常に誰かを肩車しているような異常な肩こりと地面に吸い込まれてしまいそうなほどの眠気、座っているのに息切れして、何かの拍子に襲ってくる過呼吸に耐える日々。

いつ過呼吸やあのなんとも言えないザワザワが襲ってくるかという予期不安にも怯え、大好きだった映画を観ても、感情移入し過ぎて胸がいっぱいになり、苦しくなって観ることもできない、小さい頃から好きだった絵も描きたいと思えなくなりました。

楽しく会話している人を見るたびに、どんどん世間から置き去りにされ、同じ夢を追いかける仲間たちがどんどん成長する姿を見て、自分だけ時が止まってしまっていて、水の中で息をするような呼吸を続けているうちに死にたい、どこかに消えてしまいたい。そう思いました。

しかし、どうやって死のうかと思うたび、母や父、兄の顔が目に浮かび、離れたくないよ、さみしいよ。と、思いとどまることができていました。

 

家のカウンターテーブルに吊るされたラベンダーの詰まったカエルの飾り物、その意味は大事な人が無事帰る、〇〇がかえる。みたいな縁起物。私はそのカエルを両手で包み込み、毎晩泣きながら帰ってこい帰ってこい私、帰ってこい。と心の中で叫んでいました。

 

昔の私。自由で感受性豊かだった私。

不器用な手つきで爪に塗った紺色のマニキュア。

それを見ただけで満天の星や天の川見ることができて、宇宙飛行士にだってなれた。ラベンダーの香りを嗅げばラベンダー畑に飛んでいき、波の音を聞けばすぐにタヒチに飛んでいけた私。なにもかも、全てになりきれた私よ戻ってこい。

 

この会社はかつての私のようになんでも自由に表現したり、なににでもなりきれる場所、私の象徴です。

私の夢や想いを誰かに押し付けたり、そんなつもりはありません。

この会社はとってもとっても自由です。(犯罪とかは別にして…)

会社見学中、みなさんが少しでも嫌なことを忘れたり、時間を忘れたり、クスッと笑えたり、暇つぶしをしたりできたらいいなと思います。

今後この会社は、社長の体調と相談しながらですが自由に大好きだった絵を描いて載せてみたり、夢を語ってみたり、思いをつづっていこうと思います。

 

それに対してどんないいことでも、悪いことでも、コメントをしなくても、じっくりと文字を読まなくても、なんでもいいので、なにかしら意味のあるものになればいいなと思います。

絶対ルール

 

うつ病というのは、人それぞれの、きっかけや症状があると思います。うつ病について本やネット等でたくさん情報を得ることができますが、それでも本人にその情報が当てはまっているかどうかはわからない、判断も難しい病です。

 

 私はこれまで、両親にこれといって迷惑をかけたりせず、どちらかと言えば真面目に生きてきました。
一緒に住む父方の祖父母と母との関係はあまり良くはなく、意地の悪い小姑がたくさんいて、母も私も私の兄も、きっと父も悲しい思いをたくさんしました。両親は共働きで、これでもかというほど働いていて、両親にこれ以上不幸なことがないようにいい子でいなきゃ。そう言い聞かせてきました。
それに対し私の兄は破天荒で、ヤンチャに生きていました。顔立ちも整っていて、スポーツ万能、ボクシングのライセンスまで持っていて、ものすごく心の優しい妹想いの兄でした。そんな大好きな兄はもちろん周りからは羨ましがられる兄で、ヤンチャな兄に、親は目が離せませんでした。その間にいた私は、それほど可愛くもなく、運動音痴で、コンプレックスの塊でした。何か特別頑張っても、誰もなにもみてくれませんでした。周りに人がいてもいつも、独りでした。

 

小さな小さな頃から私はおかしな事を言う子でした。"これは毒じゃない?食べても死なない?"母に大丈夫と言われるまで、人からいただいたものは食べれませんでした。学校の机や水道の蛇口、身の回りにあるたくさんのものに小さな菌がうじゃうじゃ見えました。何かを触ったら手を洗う、右手で触ったら左手でも触らなくてはならない。謎の絶対ルールが作られて来ました。
それからいつも"必要かもしれない"ものをバックに詰め込んで、バックはいつもパンパンでした。だから小さい頃から肩こりに悩まされていました。

 

私は高校3年間、そして専門学校を1年半、熱が出ようがなにしようが無遅刻無欠席をつらぬきました。それは高校に入る前、祖母と交わした口約束が始まりでした。それまで遅刻や欠席の多いだらしない生活をしていた私が目指した高校や、専門学校は、家からかなり遠いところにありました。なので、私は絶対に通えないだろうと、祖母に言われ、ならまず高校3年間休まず行くから達成できたら専門学校に行かせてほしい。通ってみせる。と祖母と約束しました。おそらく祖母はそんなん忘れちまっているであろうそんな約束でした。

しかしその時からそれは私の義務、⚫️絶対ルールになりました。

 

小さい頃から感受性が豊かで、とても不思議な子だと母からよく言われます。小中学生の頃、鍵っ子だった私はかなりのインドアで不思議ちゃん。友達ができにくく、いろんな嫌がらせをされたりもして、嫌な思いとともに育ち、人を全く信じることができなくなっていきました。そして人を忌み嫌い、身勝手に独りぼっちになっていきました。

たぶん、私の周りの人は私がそんな人間だなんて思っても見ないと思います。

オンオフがはっきりしていて、外に出ればオンになり、⚫️人に優しく親切に、⚫️親身になって話を聞いて、⚫️人にされて嫌なことは絶対にしない。⚫️人を絶対に否定しない。⚫️悪口を言わない。⚫️嘘をつかない。⚫️遅刻や、欠席、注意されるようなことはしない。⚫️親、兄弟、家族を常に大事に想い、絶対に悪く言ってはいけない。⚫️そしてその家族というテリトリーに、誰も入れてはいけない。家族以上のものはなにもない。高校に入ってからはそういった絶対ルールのもと生活し、周りに人が集まり、いろんな人がいろんなことを相談してくれるようになりました。まぁ、いわゆるかなりの八方美人です。と言っても二方ですがね。笑。家でしか、本当の自分は見せませんでした。ヘタすれば、⚫️自分にしか本当の自分を見せていませんでした。

私は頑固な性格で、かなり熱苦しくもあり、物や人に対する執着心も強く、母に似て義理人情に厚く、心配性で、なにかやると決めたらやる人でした。物事を冷静に判断し、そして常にしっかりと夢や目標を持っていて、そのための努力もしていたものだから、みんなからしっかりしてる、まじめ、同い年とは思えないなどと言われていたので、いろんな人が大人びた印象を受けたとおもいます。たぶん。たぶんですがね。笑。そして無遅刻無欠席、成績もなかなか優秀で専門学校の卒業単位ももちろん取れていて、素晴らしい、文句なし。人々からはそう言われ、まじめで通ってきました。しかし、私の中のその絶対ルールとやらはどんどん増えて、私の強迫観念は知らないとこで気づかぬうちに、私を縛り付け、私を殺し続けていました。

 

そしてある日、専門学生最後の夏休みのたった1日の登校日を、うっかり忘れ、欠席したことがありました。その時、張り詰めていた糸がプツンと切れました。その後から私は外に出ることが億劫で仕方なくなりました。また、もともと心配性の私は、火の始末や、鍵の閉め忘れが気になってどうしようもなくなることが昔からありましたが、さらにさらに酷くなりました。そして車の運転中、対向車線からくる大型トラックを見た時にこのまま突っ込めば楽に死ねるのだろうかとふと思い、それをその時おかしいこととも思わず、それからどんどん身体や心はおかしくなっていきました。

なぜ、会社を立ち上げたのか。

私は、今20歳の就活生です。

そして私は今、ある病と闘っています。

それはうつ病です。

なぜ、会社を立ち上げたのか。

子どもの頃の自由な私を取り戻そうと思ったからです。

 

今これを読んで多くの人は、意味不明!甘ったれてんな!ゆとりだな。と思ったと思います。
うつ病という病気を知っている人はいっぱいいると思います。しかし残念ながら知っていても、理解してくれる人は到底少ない病です。甘ったれてる人間がなるだとか、ゆとりだとか、なんか死にたいとか思っちゃうんでしょ?とか。病んでる人?イカれちゃったんだよ。とか…

うつ病患者が増えてきたと言われる現代でもそういった印象を持つ人が多く、抗うつ薬を飲んでいることを人に言うのにはかなりちゅうちょしてしまうものです。

そもそも、これは私の意見ですが、うつ病患者はここ最近増えたのではなく、うつ病に気づいた人が増えただけで、気付かず苦しんでいた人は昔からたくさんいたのではないかと思います。もしかしたら気付いていても、どうしていいかわからない、言えない、恥ずかしい。そういう人もきっといます。

 

私の大事な人が、長年うつやパニック障害などの心の病に苦しんでいます。その人は、甘ったれた人?そんな、そんな、とんでもない。その人はこれまで誰よりも明るく、強く、たくさんの苦労を乗り越え生きてきて、人一倍義理人情に厚い人間で、責任感の強すぎる人で、私の1番尊敬する人です。

だから私はもともとうつ病というのは、何かを背負い過ぎてしまったがためになってしまう病なのだとおもいます。

 

世の中にはいろんな人がいて、いろんな人生がありそしていろんな考え方や思いがあると思います。心の中に秘めた思い。そんな思いを自分も含めみんなが自由に解き放つことのできる場所(会社)を作りたくて会社を立ち上げました。

子どもの頃の私を取り戻すために…

Hello!!!こんにちは‼︎

どうも、私はSoyBeanです。日本人です。

この度、SOYBEAN's Inc.という会社(空想)を立ち上げました。

 

Hi, I'm SoyBean.And I'm Japanese.

I have launched the company called SOYBEAN Inc. (Fantasy).